X IMAIKE BIOGRAPHY
2007年大晦日
名古屋・今池のライブハウスHUCKFINNで開催されたカウントダウンライブに、U-KIとPARISが出演。そこに関係者として訪れていたJUNJIとEIJIを交えた4人は、偶然にもX JAPANの話で意気投合。以前から親交はあったものの、X JAPANについて語り合うのは、この日が初めてだった。
2008年3月
4人揃ってX JAPANの復活3DAYSライブに参戦。初日の1曲目から全員が号泣するという幕開けを迎えた。濃密な3日間を共に過ごす中で親交は急速に深まっていったが、この時はまだ、自分たちがバンドを結成することになるとは誰も想像していなかった。
2008年4月初旬
U-KIの発案により、X JAPANのメモリアルデイである5月2日に、今池HUCKFINNでX JAPAN関連のイベントを開催することが決定。さらにEIJIの提案で、コピーバンドとしてライブを行う計画が持ち上がった。
しかし、メンバーはU-KI(ギター)、JUNJI(某レコード店のバイヤーで、ハードコアバンドのボーカル経験あり)、EIJI(ドラム)、PARIS(ドラム)という顔ぶれ。ギター1人、ドラム2人、そしてボーカル経験者1人という構成では、簡単にバンドを結成することはできなかった。
そこで当初は、JUNJIがボーカル、U-KIがギターを担当し、EIJIとPARISが簡略化したベースパートを覚えてドラムとベースを交代で担当するという、苦肉の策を考案。
2008年4月中旬
その後、JUNJIのスケジュール調整が難航し、急遽PARISがボーカルを務めることに。ドラムはEIJIが専任し、ドラムソロのみPARISが担当。JUNJIは当日間に合えば「FOREVER LOVE」のボーカルを務め、さらにラストナンバーでは中学生時代に使用していたHIDEのコスプレ用ウィッグを着用して参加することになった。
これによりベースが不在となり、U-KIの地元の友人であるTAKADAと幼馴染のRAMを、それぞれサポートベーシスト、サポートギタリストとして迎え、ツインギター構成が完成。
バンド名は、4人がX JAPANという共通の絆で結ばれるきっかけとなった地であり、バンドにとっての「攻撃開始の場所」でもある今池にちなんで、「X IMAIKE」と命名。
この時点で、初ライブとなる5月2日まで2週間を切っていた。
2008年5月2日
初ライブにして、いきなりワンマンライブを敢行。「Xといえば東京ドーム」ということで、ステージから客席へと伸びる花道を設置し、会場のHUCKFINNを「IMAIKE DOME」と命名した。
スケジュール調整の末、JUNJIも参加が叶ったものの、「FOREVER LOVE」でワイヤレスマイクのスイッチを入れ忘れるというハプニングが発生。演奏に参加していなかった人物が突然ステージに現れ、生声でアカペラを披露するというシュールな光景が繰り広げられた。
以降、JUNJIは「JUNJIの部屋」やホログラムなど、X IMAIKEにとって欠かせない重要なパートを担うことになる。JUNJI曰く、自身の存在は「概念」なのだという。
この時点では、まだメンバー全員が本格的なコスプレをしていたわけではなく、数か月後に皆でウィッグを買いに行き、カツラ屋さんのポイントカードが貯まることになるとは、誰も夢にも思っていなかった。
終演後、予想外にも来場者や関係者から高い評価を受け、年末恒例のHUCKFINNカウントダウンライブのヘッドライナーに抜擢された。
2008年7月16日
FILM GIGを開催し、初ライブの模様を上映。同日、メンバーが記者会見風にステージへ登場し、出演バンドすべてがコピーバンドという異色のカウントダウンライブ「JUNJI MEMORIAL SUMMIT」を12月31日に開催すると発表した。
2008年夏
某レコード店で開催されたTOSHIのソロアルバム発売記念サイン会にて、U-KIがミニライブのPAを担当した。
2008年大晦日
カウントダウンライブ「JUNJI MEMORIAL SUMMIT」を開催し、総勢13バンドのヘッドライナーとして出演。このライブからTAKADAが正式メンバーとして加入した。
本家X JAPANと同様、時計を見ながら新年を迎えるカウントダウン演出を採用。演奏開始から年越しの瞬間まで、綿密な時間調整を行った。しかし、肝心の時計を1分遅れて設定してしまい、X IMAIKEは2009年1月1日0時1分に新年を迎えた。
さらにフィナーレでは、MC中に興奮したJUNJIが突然鼻血を出すというハプニングも発生した。
2009年初旬
メンバーそれぞれが所属するバンドなどで全国的に活動していたこともあり、海外(今池以外)からのライブ出演オファーが現実味を帯び始めた。これを受け、EIJIがKOJIを正式メンバーとして迎えることを提案した。
2009年3月12日
KOJIを交え、メンバー全員でミーティングを開催。ところが、その日の朝刊にHEATHの脱退報道が掲載され、メンバーはKOJIそっちのけで、HEATHへの思いを数時間にわたって語り倒した。
その後、ようやく話し疲れたメンバーがKOJIに正式加入を打診し、KOJIはこれを快諾。こうして現在の布陣が完成した。
2009年3月19日
2度目のFILM GIGを開催し、前年のカウントダウンライブの模様を上映。
前回同様、メンバーが記者会見風にステージへ登場し、KOJIの正式加入と、8月に新体制でライブを開催することを発表した。
2009年7月
JUNJIがライターを務める「2YOU MAGAZINE」にライブ告知を強行掲載。メンバー6人のアーティスト写真が初公開された。
2009年8月13日
通算3回目にして、2度目のワンマンライブを敢行。このライブから、メンバー全員が本格的なコスプレを披露するようになった。
しかし、この日の最大の見せ場でもある「Art of Life」のJUNJIのホログラムパートで、マシントラブルが発生。演奏を一度中断し、曲の冒頭からやり直した。
なお、この日のライブ映像はYouTubeで公開されているが、動画内のホログラムは編集で合成されたもの。実際の会場では、ステージ上手側の壁にプロジェクターで映像を投影していた。
2010年1月16日
三重県鈴鹿市で開催されたイベントにて、TAIJIのスペシャルバンドと共演。メンバー全員のスケジュールがどうしても合わず、FILM GIG形式で参加。サプライズでPARIS、U-KI、TAKADAの3人も登場した。
前年の夏、同じく三重県の鈴鹿サーキットで「X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜」が開催されたことにちなみ、本公演は「X IMAIKE FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜」と命名された。
2010年2月5日
お笑いコンビ「ダイノジ」が主催するDJイベントにゲストバンドとして出演。ラストナンバーでは、ダイノジもステージに登場し、エアギターを披露した。
2010年5月2日
iTunes Storeにて、EP「IMAIKE SHOCK vol.1」を期間限定でリリース。ライブ活動の合間にセルフレコーディングした3曲と、ライブ音源1曲の全4曲を収録。レコーディング、ミックス、マスタリングはU-KIが担当した。
収録曲:
- 紅
- RustyNail
- SilentJealousy
- WEEK END [Live Version]
その後、メンバーそれぞれの音楽活動や仕事が多忙を極め、事実上の活動休止状態に入った。
2015年12月15日
X JAPANの名古屋公演にメンバー全員で参戦。久しぶりに全員が顔を揃え、それぞれの内に秘めていたX JAPAN熱、そしてX IMAIKE熱が再燃した。
2016年3月23日
ホームグラウンドであるHUCKFINNの35周年を記念し、約6年ぶりとなるライブを開催。
2009年のライブではマシントラブルに見舞われた「Art of Life」のホログラム演出に再挑戦。今回は壁への投影ではなく、U-KIが独自に考案した技法を用いて、花道の中央にJUNJIのホログラムを出現させることに成功した。
2019年7月
JUNJIがライターを務める「2YOU MAGAZINE」に、X IMAIKEのメンバーインタビューが掲載された。
それまでメンバーそれぞれの音楽活動とは一線を画し、どこか謎のベールに包まれていたX IMAIKEが、珍しく「中の人」として登場。従来のスタンスにも変化が見られたが、その内容はインタビューという名の、いつもどおりの雑談。
長時間にわたって語り続けるも話は尽きず、最後は半ば強引に終了。当然ながら、その大部分は誌面からカットされた。
2019年8月31日
今池ボトムラインで開催された、EIJIのOVER ARM THROW加入10周年記念ライブにゲストバンドとして出演。
お祝いとして、EIJIモデルのミニクリスタルピアノを製作し、本人にプレゼント。本家の「KAWAI」製に対し、こちらは「KAWAII」製である。
2020年5月30日
新型コロナウイルス感染症の影響で外出自粛が続く中、少しでも元気を届けたいという思いから、前年の今池ボトムライン公演の映像をYouTubeで公開した。
2024年3月30日
コロナ禍による活動自粛や各種規制の影響で延期を重ねていた、HUCKFINNの40周年記念ライブが、当初の予定から足掛け4年を経てようやく実現。
このライブでは、ついにEIJI念願のクリスタルドラムを導入した。
アンコールのMCでは、2026年にHUCKFINN45周年記念ライブ「〜45年目の夜〜」、そして通算10回目のライブ「〜10回目の夜〜」を開催する計画があることを発表した。
2024年春
HUCKFINN40周年記念ライブの翌日、早くも2年後の45周年記念ライブに向けた構想が始動。当初は土日の2日間で異なるセットリストを披露する「2DAYS」を計画し、メンバー間でスケジュール調整を開始した。
2024年11月22日
PATA率いるRa:INのライブレポートのライターにJUNJIが抜擢。PATAとJUNJIが肩を並べた写真が撮影され、X IMAIKEのメンバーに激震が走った。
2025年1月4日
X JAPANの「BLUE BLOOD」「Jealousy」「ART OF LIFE」を手がけ、伝説のライナーノーツの著者としても知られる音楽プロデューサー・津田直士氏のYouTube番組にU-KIが出演した。
2025年
2DAYS構想のスケジュール調整が難航する中、PARISが「アイドルみたいに1日2回公演とかじゃだめなんですか?」と提案。なぜか話はさらに飛躍し、「IMAIKE DOME 3DAYS 破滅に向かって」と題して、1日で3公演を行うという無謀な計画が浮上した。
さらに、3公演それぞれ異なるセットリストを用意する一方、「X JAPANが『紅』を演奏しない日などあってはならない」というU-KIの強いこだわりから、「紅」だけは全公演で披露することが決定。
本当に演れるのか? そんな疑問を全員が抱えながらも、誰も止めようとしなかったため、計画は動き始めてしまった。
2026年10月4日
「IMAIKE DOME 3DAYS 破滅に向かって」をついに敢行。
「〜破壊の夜〜」「〜45年目の夜〜」「〜10回目の夜〜SPECIAL」の3公演を完全入替制で開催し、それぞれ異なるセットリストを披露。2008年の初ライブから数えて通算8回目、9回目、10回目のライブを、わずか1日で駆け抜けた。
3公演を通して、EIJIのドラムソロに加え、PARISは2008年以来となるドラムソロ、U-KIは2009年以来となる「U-KIの部屋」を披露し、KOJIとTAKADAも参加。さらにJUNJIは「現場のJUNJI」としてライブ即レポを執筆したほか、DAY-1とDAY-3の「Art of Life」では、さらなる進化を遂げたホログラムで10年ぶりに登場した。
しかし、DAY-3の終盤、EIJIの体力がついに限界に到達。「Art of Life」の演奏中には足が攣るというアクシデントに見舞われ、予定していたセットリストの変更を余儀なくされた。
一時は「紅」をカットし、「ENDLESS RAIN」でライブを締めくくる予定だったが、演奏終了後、EIJIが突如「今なら1曲いける。紅、いきましょう」と宣言。メンバーも即座に対応し、イントロのアルペジオを省略して、いきなり「紅」の本編へ突入。
こうして、当初の予定どおり全3公演で「紅」を披露し、前代未聞の1日3公演を6人で完走した。
